5.6 人の成長の見本となったアルナ
タルー出身のアルナ・チョウダリは、10年前に女性リーダー育成研修を受けてから、すっかり人生が変わりました。研修前は、部屋の隅でひとりじっとしていたり、他の人の目を見て話ができないほど恥ずかしがりやでしたが、今では自分が他の人に研修をしたり、地元で行政とNGOの会議の調整をするほど活躍するようになりました。

1996年、研修に参加するためにジャパ郡からカトマンズに来ました。他の受講生は自分の所属機関から推薦されていました。彼女の場合は、カナダ人のキャサリン・ホワイト・べルナードさん
[i]の支援で研修を受けることができました。研修後、他のメンバーは自分の所属先に戻って活動することになっていましたが、アルナは研修後に仕事を探さなければなりませんでした。そのプレッシャーから、彼女は他の人たち以上に実力をつけなければならないと思って頑張りました。

1997年8月30日に研修を終えた彼女は、当時を振り返ります。「人生で初めて、村芝居を演じる中で、自分が演技をしたり、唄ったり、踊ったりする機会を得ました。私たちの芝居を観に来てくれた人たち
[ii]が、私のことをとても褒めてくれました。私でも何かできるんだと、大きな自信をつけました。そこから私の人生が開けたのです」

自分の中に芽生えた深い自信を胸に、日本人の友人
[iii]からもらった2ダースのノート、1束の鉛筆、モヒラコハートからもらった500ルピーを持って、アルナは自分の村に帰りました。それを使って自分の家で村人のための識字教室を開きました。参加者が増えるにつれてやかましくなり、夜遅くまで教えるために電気を使いすぎていることを快く思わなかった父は、アルナを叱りました。それでもアルナはくじけませんでした。アルナは言います。「私は父の言うとおりにはしませんでした。何ケ月が教室を続けた後、メンバーたちに貯蓄の重要性について話しました。自分自身貯蓄の仕組みについてもっと知りたかったので、弟に教室を任せ、イラム郡[iv]ナムサリン村のNGOに勉強に行きました」

1997年11月から、アルナの仕事の世界はすっかり変わりました。彼女はダランに本部のあるBPコイララ記念病院
[v]の地域保健指導員に採用されたのです。彼女の仕事は、カトマンズ市内ボダナート地区にあるカーペット工場を巡回してリプロダクティブ・ヘルスについて教え、避妊具を配布することでした。未婚女性が避妊具を配布し、家族計画について教えることについて、当初は気が進みませんでした。性病や、HIV/AIDSについても扱い、工場にいる患者を見つけたら、必要に応じて病院に連れて行くのも彼女の仕事でした。彼女はその仕事にも慣れていきました。彼女の献身的な仕事ぶりが認められ、彼女は普及員となったあと、現場の責任者に昇進し、ついには研修責任者になりました。

2003年2月22日から、アルナは農村自立開発センターというNGOのカピルバストゥ郡
[vi]バルワリ村で普及員として働くようになりました。再び彼女の世界は広がりました。彼女は言います。「ナバジョティセンターでさまざまな分野の研修を受けたおかげで、私はどんな種類の仕事もこなせるようになりました」。アルナはその村で1年間に7つのグループを結成しました。それらのグループは道路建設や学校補修といった地域のために役立つことを進んで引き受けるようになりました。また、幼児教室やグループ研修の運営管理の仕事も1年間やりました。

アルナの活躍に感心した農村自立開発センターは、彼女にサルラヒ郡
[vii]の調整員の仕事を任せました。新しい任地に着いたばかりの頃、彼女はこの仕事は自分には荷が重いと不安でした。それでも、郡の行政、NGOとの調整会議に出るうちに慣れていきました。当時を思い出して言います。「私は会議でサルラヒ郡の女性が置かれた状況についてわかりやすい情報を提供しました。それをきっかけに、私は調整員の役割を果たせるという自信がつきました」。彼女はサルラヒ郡で4年間過ごしました。高い報酬を得られたわけではありませんが、そこで暮らす2,900世帯から愛されていました。ジャパ郡、カピルバストゥ郡、サルラヒ郡で仕事をし、地元の言葉を学ぶ機会も得ました。彼女はアワディ語、マイティリ語、ラジバンシ語、ボジプリ語を流暢に話すことができます。

この間に経験した辛いことも忘れがたいです。カピルバストゥ郡にいた頃、マオイストに毎月「寄付」を要求されました。彼女が村回りに出かける時、自転車を無理やり止められ、何かスパイ行為をするようなものをもっていないか調べられました。彼女を襲ってやるという噂も流れ、精神的恐怖を与えられました。彼女は思い出します。「夕方になると不安になりました。当時村人が私をかくまってくれました。カピルバストゥで暮らした1年間はとても大変でした。毎晩、これが私の人生の最後の夜になったらどうしようか、と思うと本当に怖かったです」。サルラヒ郡も強盗が多いことで知られており、危ないところでした。強盗団の争いに巻き込まれて、アルナの友人ふたりが精神的痛手を負いました。彼女たちは今も病院に通っています。友人たちが倒れたことがきっかけで、アルナも2ケ月間ふせってしまいました。

紛争の影響で資金援助が滞ったので、アルナも仕事を続けられなくなりました。今、彼女は無職ですが、この時間を自分の勉強に充てています。トリブパン大学の修士課程2年に在籍しています。彼女の長い努力は、農村の女性も一生懸命頑張れば人生を変えられるという見本に他なりません。


[i] 当時アルナが働いていた家でネパール語を習っていた女性。
[ii] ナバジョティ研修センターでは修了式に研修生が学んだことを披露するプログラムがある。
[iii] モヒラコハートの会員にはバグワティ・ネパールからネパール語を学んだ日本人も多数含まれている。
[iv] ジャパ郡と隣接するネパール東部丘陵地帯の郡。
[v] ダランはネパール東部の都市。BPコイララ記念病院は東部随一の設備を誇る私立病院で、NGOとして全国で保健活動も行っている。
[vi] ネパール西部平野の郡。
[vii] ネパール東部平野の郡。