1. ネパールのストリート・チルドレン
1-1. 概要

ネパールのストリート・チルドレンの歴史はよくわかっていません。いつどんな状況で路上で暮らす子どもが現れたのか、どの団体にも記録が残っていません。彼らに関する詳しい研究がない理由は、具体的な資料が得られにくいからです。ストリート・チルドレンはなぜネパール語で「カテ」と呼ばれるのか、どうして路上で生活するようになったのか、誰が最初に彼らへの支援を始めたのか・・・・。多くの疑問がわいてきますが、長くストリート・チルドレンのために活動してきた団体にさえ、これらの質問には答えられません。

過去の話はともかく、多くの団体は子どもたちの現状すら把握できていません。2002年に出版されたCWIN[i]の報告書によると、ネパール全体でのストリート・チルドレンの人口は約5,000人でした。その後新たな調査は行われておらず、各団体ごとに異なった統計を出しており、どの数字を信用すればよいか判断しかねます。前述の報告書によれば、当時カトマンズでは約500~600人の子どもたちが路上にいました。他団体の話[ii]では、ポカラに250人[iii]、ダランとビラトナガルに200人ずつ[iv]、ナラヤンガート、ブトワルに200人ずつ[v]の子どもたちがいると言います。

記述された歴史がないとは言え、25年ほど前からネパールの子どもたちが路上生活を送り始めたと推察できます。その頃、国内外のさまざまな団体がそういう子どもたちについて注目し始めたからです。このように20年以上にわたって、外国の団体がネパールの団体とともにストリート・チルドレンのために活動しています。今では、ストリート・チルドレンと関わる団体が増えましたが、その成果は必ずしもかんばしくありません。その多くが子どもたちにとって何が必要なのか十分把握しないで仕事を始めているように見えます。これらの団体は子どもたちが本当に望んでいることを未だ知らないままでいるようです。

この20年間で、ストリート・チルドレンのためという名目で、30カロール・ルピー[vi]相当の援助金が使われたと推測されますが、問題は解決していません。8~10年前もネパールには5,000人ほどのストリート・チルドレンがいました。過去10年間で彼らのために活動する団体の数が3~4倍に増えたので、ストリート・チルドレンの人数は減っていかなければならないはずですが、現在も人数に変わりはないと聞きます。活動団体の増加につれて援助額も増えているにも関わらず、効果が現れていないのでしょうか。この事実は、ストリート・チルドレンのための活動が未だ有効でないということを物語っています。あるいはこれらの団体は8~10年前の統計を未だに使い続けているのでしょうか。

数年前に中央児童福祉委員会がJAFONを含む団体やストリート・チルドレン自身の協力を得て調査を試みました。カトマンズのストリート・チルドレンの数を740人とする統計を出したものの、それも不十分な調査でした[vii]。ストリート・チルドレンの増減を断定するのは、大変難しいことなのです。

私たちが、ストリート・チルドレンのために活動する国内外の団体に訴えたいのは、まず適切で長期的な計画が必要だと言うことです。現在すでに実施している方針と事業計画の修正も必要でしょう。個人にも、団体にも、また国家にも資金は必要です。しかし、それは本来の目的に沿って用いられるべきです。適切な政策や計画がなければ、どれだけ多くのお金があっても成果を挙げることはできません。また、ストリート・チルドレンを支援する各団体は共通の理解に基づいて計画を実施し、それを進化させていく必要があります。

1-2. 特徴
現在ストリート・チルドレンの人口は減ることなく、むしろ増え続けていると思われます。数年前まで、路上に子どもたちがやってくる原因は貧困にあると言われてきましたが、次第にその理由も多様化しています。子どもに対する両親の無関心、友達の誘惑、家庭内暴力などを理由に子どもたちが路上に出てきています。裕福な家庭の子どもが路上にやってくる場合もあります。

10年ほど路上生活をしている者と最近そうなった子どもの間で最も異なるのは、技術の取得に対する意欲です。技術訓練の機会を増やすことは、問題解決の糸口になり得るようです。もう一つ重要な点は、近年ストリート・チルドレンになった子どもたちの中には、学校教育を受けたことのある子が多いということです。現在のストリート・チルドレンのほとんどが読み書きができますし、8年生まで修了して路上に来た子どももいます。彼らの多くは勉強が嫌いで家を出て路上に来ています。一般の学校教育に興味を失ったからです。彼らは再び学校に行くよりも、手に職をつけることができる技術訓練に関心を示すでしょう。とは言え、教育支援に意味がないと断言するつもりはありません。学校に通い続けることを望むストリート・チルドレンも少なくはないからです。私たちは、一般の学校教育と技術訓練のいずれも重要だと言いたいのです。 

紛争によって家族が国内避難民となり、子どもたちが路上に来る傾向が見られます。首都圏にあるカトマンズと隣接するラリトプルのストリート・チルドレンの人口が特に増えています。子どもたちは一旦都市での生活に慣れると、紛争が終結し村での安全が確保されても、路上で楽しむ癖がつき、村に帰りたがりません。経済的に問題を抱えた家庭の子どもたちは、一旦都会に出るとその誘惑に弱いのです。

大まかに分けると2種類のストリート・チルドレンがいます。昼夜ともに路上で過ごす子どもと、昼は路上で過ごすものの、夜は家族の所に帰る子どもです[viii]。前者については特定の地域で活動するたいていの団体が人数を把握していますが、後者について把握するのは非常に困難です。また最初は夜になると家に帰っていた子どもも、夜、路上で過ごす子どもたちと親しくなるにつれ、家に帰らなくなっていく傾向があります。

路上で生活する子どもや青年たちは、お互いを信頼していますが、見知らぬ人は信用しません。そういう人と親しくすることも好きではありません。それでも、彼らは一度信頼関係ができるとずっと信頼し続けるのです。一度心を開いた後は、良い事であれ悪い事であれ、自分の個人的な秘密を打ち明けるのもためらいません。最初はとても恥ずかしがっていた子どもも、一旦話し始めると打ち解けます。その一方で、あなた自身が彼らにどれだけ心を開いても、彼らがあなたを同等だと感じることはなく、彼らはあなたから何らかの利益が得られないか探しているのです。そのため、一般の人からストリート・チルドレンが荷物やお金を奪い取るという事件が起きるのです。しかし、彼らも路上生活に疲れ、安定した暮らしをしたいと望む日が来ます。その時、彼らはあなたを探します。あなたの支援を受けることができたら、彼らは路上生活をやめ普通の市民として暮らすことができます。彼らの中には良い道に進む子もいれば、一般の人たちになかなか相手にされないことに嫌気がさして、再び路上生活に戻っていく子もいます。

[i] Child Workers in Nepal Concerned Centre(CWIN)は、1987年に設立されたネパールのNGOで、子どもの権利と児童労働に関するロビー活動では草分け的存在。http://www.cwin.org.np/
[ii] 本書のネパール版を執筆した2006年に、地方で活動する各団体に電話で行ったインタビューによる。
[iii] 西部の観光都市。1997年に設立された地元NGO、Child Welfare Scheme Nepal (CWSN)による。http://www.childwelfarescheme.org/
[iv] ともに東部の都市。1993年に設立された地元NGO、Under Privileged Children Association (UPCA)による。http://www.upca.org.np/
[v] ともに中部の都市。2004年に設立された地元NGO、Child Protection Centers and Services (CPCS)による。http://www.cpcs-int.org/
[vi] 1カロールは、1千万ルピー。2008年1月現在、1ルピーは約1.53円。
[vii] ストリート・チルドレンの中には寝る場所を求めて転々とする子どもが多いため、広域にわたる一斉調査を行わない限り、正確な人数を把握することは極めて難しい。
[viii] 生活のすべてが路上にある子どもはChildren of Street、家があり家族のもとに帰るが多くの時間を路上で過ごす子どもはChildren on Streetと区別して呼ばれる。CWIN(2002)参照。
1-3. 生計、ごみ問題との関連
ストリート・チルドレンの中には、バスやテンプーなど公共の乗り物で車掌[i]として働いたり、食堂で皿洗いの仕事をする者もいますが、多くはごみとして捨てられる牛乳や油の入ったプラスチックの袋、割れたプラスチックのバケツ、ガラス瓶、その他さまざまな種類の銅、鉛、アルミニウムなど資源ごみを拾って生計を立てています。彼らは私たちの家のまわりや道端のごみの中からこれらのものを集め、資源回収業者に売るのです。この仕事をする子どもたちは、夜明け前に起きて資源ごみを探しに出かけます。午前中集めたものを売った後、午後は映画を観たり遊んで過ごします。再び夕方から夜中までごみを探して歩き、真夜中になって路上や回収業者の集積場、また施設などで眠ります。

実入りが良いときは、肉のカレーを食べたり、トランプや、映画、酒、また衣類やシンナーを買うのに稼ぎを使ってしまいます。ストリート・チルドレンは普通の貧しい家の子どもより、贅沢をしているように見えます。ネパール人のほとんどは祝祭日の時だけ肉を食べますが、彼らが普段から肉を食べていることを知って驚く人も少なくありません。お金が足りるなら、彼らは肉だけ食べてお腹いっぱいにしたいほどです。毎日映画を見たり娯楽にふけること、むしゃむしゃと何か食べ続けることが好きです。そうしないと気が晴れないのです。

ごみを探し歩く彼らですが、免疫力が強いのか、病気になる子どもは意外に少ないです。道端や私たちの家のまわりからストリート・チルドレンがごみを拾わなくなったら、私たちのまわりはどうなっていたでしょうか。コレラ菌など多くの病原菌が広がっていたかもしれません。ストリート・チルドレンが一般住民を健康被害から遠ざけ、自治体のごみ回収の一端を担っていると考えることはできないでしょうか。しかし、誰もストリート・チルドレンがごみ回収に貢献しているとは考えないのです。ストリート・チルドレンは「カテ」、時には泥棒とまで呼ばれ、見下されています。自治体が彼らのための活動をすることもありません。彼らの働きを評価し、ストリート・チルドレンの健康と安全に役立つような教育や技術訓練を自治体が行うことが必要です。彼らは目に見える働きをしているのですから、一般住民もストリート・チルドレンに対する偏見を捨てなければいけません。自治体のごみ回収が不十分な現状では、ストリート・チルドレンなしでごみの分別や資源ごみの回収はできません。彼らが売った資源ごみを売買することで多くの人が仕事を得ています。しかし、ストリート・チルドレンが大きな利益を得ることはありません。資源回収業者たちも、彼らに対して冷たいです。みな自分の利益だけを考えているのです。ストリート・チルドレンに対して、感謝の気持ちを持っていません。ストリート・チルドレンが資源ごみを回収しなかったら、自治体はごみの分別にどれだけお金をかけることになるでしょうか。これは真剣に考えなければならない問題です。彼らはごみの分別や環境にとって重要な貢献をしているのです。

年少の頃から、道端や住宅街で麻袋を担いでごみを集めていた子どもたちは、青年となった今、警笛を鳴らしながら住宅街でごみ回収をしています[ii]。仕事のやり方が少し違うだけですが、ストリート・チルドレンのほうは相変わらず見下されています。以前は、戸別回収サービスが少なかったため、路上にごみを捨てる人が多かった上、自治体の回収も遅れがちでした。ストリート・チルドレンがプラスチックや金属を集め、お金を稼ぐことはそれほど難しくありませんでした。最近はごみの路上投棄が禁止されており、自治体も早く回収するようになったので、彼らは仕事がしにくくなっています。この仕事で食べていけなくなると、ストリート・チルドレンは悪いことにも手を染めるようになります。盗み、強奪、売春などをしてしまう可能性があるのです。また、路上で物乞いをする子もいます。廃棄物処理の仕組みを改善するのと同時にストリート・チルドレンの生計のことを忘れてはいけません。彼らの仕事を奪ってしまうと、彼らが悪事を働いてしまい、国にとっても問題となるでしょう。こういう点も政府が対策を考えるべきです。

[i] テンプーはオート三輪車の総称。カトマンズとラリトプルで走行しているものはいずれも充電式電気自動車。車掌はネパール語で「カラシ」と呼ばれ、出発時に客を呼び込み、走行時に停車を知らせ、乗車料金の徴収も行う。
[ii] 行政によるゴミ回収システムが確立していないネパールでは、NGOや民間業者が各戸を訪問し、警笛で知らせながらゴミを回収している。