4-6. 殺し合いのない国に-シタラム
ガンダルバといえばサランギ(ネパールの伝統的な弦楽器)を弾きながら、唄い歩く人々の顔が思い浮かびます。ガンダルバのカースト出身だからでしょうか、シタラムは踊りや歌といえば、小さい頃から夢中になっていました。『マチ カンダイレ マヤ ラウンダイマ チェキョ ダンダレ』、このような映画の歌がラジオから流れてきます。この歌を唄っている人こそ、シタラム・ガンダルバです。

彼の生まれはサルヤン郡のワヤルダンダ村です。丘陵地帯のダリット居住地に生まれ、子どもの頃は学校へ行く年齢になっても、薪を切ったり草を刈ったりして過ごしていました。人生の大部分をロルパ郡の母の兄弟の家で過ごしました。そこで彼は結婚もしました。その後、ダン郡ハプル村のナヤバスティ地区に引っ越しました。
 
ガンダルバはダン郡に来てからも自分の歌声で多くの人々の心をつかみました。ここで彼は短期間のうちにとても有名になりました。1984年の第3回ドホリ・ギト[i]大会で、彼は優勝し金メダルと7千ルピーの賞金を勝ち取りました。優勝したのでカナダに行くこともできるはずでした。しかしコンテストの主催者との面識がなかったため、そのチャンスは失われました。カナダには主催者の知り合いが送られたのでした。

その出来事以来、シタラムは憂鬱になり、家を出ました。歌手をやめ、警察の仕事を得ました。彼は1991年から2005年まで14年間働きました。温順な性格のシタラムは、紛争の最中に上司から人を殺すよう命令されると途方に暮れました。彼は神様に祈りました。人を殺すような罪深い仕事は彼にはできなかったからです。どんな生き物でも殺すことをしない慈悲深い心のシタラムは、年金を受け取る資格を得るまでの2年間を残して仕事をやめ、家に帰りました。

職を失った彼は、14年間働いた仕事をした後でも自分の住む家を作ることはできませんでした。自分より後に警察に入った友人は町に家を建てています。しかし、彼はといえば仕事をやめて、年金積立金を少し持ち帰っただけでした。一生懸命稼いだお金で、彼はトゥルシプル市第6区、スンダルバスティ地区のパトゥコラというところに5ドゥル[ii]の土地を買い、小さな小屋を建てました。現在その小屋に妻と息子3人、娘1人と一緒に暮らしています。

自分の好きな、そして先祖代々受け継がれてきた歌手という職業を失ったシタラムは、仕事を辞めた後、どうやって家族を養っていくか不安になりました。でも彼は落胆しませんでした。職は失ったけれど、それがどうしたのだ、ジャングルはなくなっていないじゃないか。彼は日雇い労働を始めました。短期間で大工仕事も学びました。そして、現在は家を建てる職人として仕事をし、一日に180ルピー稼いでいます。何とか自分の家族を養うことができています。

自分の人生経験のページをめくりながらシタラムは言い聞かせます。「私には歌の大会で優勝した62個のメダルと賞状があります。でもそれで食べていくことはできません。どうしましょう。人は、人生で起きたことをそのまま背負っていかなければいけないのです」

シタラムの希望は、国に永久の平和が訪れることです。「すべてのネパール人が仕事をしてお腹いっぱいごはんを食べられなければいけません。すべての人が幸せな眠りにつけるよう、安全で幸福に生きるようにならなければいけません。殺し合いは誰にも利益をもたらしません」

4-7. サビットラに対する姑の裏切り
サビットラ・ケーシーの夫は警察官でした。紛争のせいで、彼女はいつでも夫の安否を心配していました。そのせいで昼も夜も眠れませんでした。「私たちには畑があるじゃない。だから警察の仕事は辞めて」。サビットラの度重なる願いを聞いて、夫テジ・バハドゥル・ケーシーは警察を辞めました。仕事を辞めた彼は家族と一緒にダン郡タリガウン村ラジェナの家で暮らしました。3歳の娘も父親と一緒に暮らせるようになったのを喜びました。それ以上にサビットラは、何年かぶりに夫といっしょに暮らすことができ、世界が明るくなり始めていました。

テジ・バハドゥルは父母と離れて暮らしていました。そのためサビットラは嫁姑の確執に耐える必要はありませんでした。小さな家族、幸せな家族でした。テジ・バハドゥルも村の生活を楽しんでいました。しかしサビットラの幸せは、そう長くは続きませんでした。2002年6月25日昼、近所の村、バンガウンに仕事に行っていたテジ・バハドゥルをマオイストが殺害しました。警察をすでに辞めていたにもかかわらず、死を避けることはできませんでした[iii]

サビットラは寡婦になりました。一人娘を支えに生きようと、彼女は悲しみを忘れるための努力もしました。しかし彼女にさらなる悲しみが襲ったのです。サビットラの姑が「私の息子が殺されたのはお前のせいだ!」と、毎日彼女を非難し始めたのです。サビットラの側に立って姑に話をしてくれる人は誰もいませんでした。彼女は誠実だった夫の親が非難の言葉を浴びせてくるのを受け止めるより他に方法がありませんでした。

そんなある日、サビットラが水浴びに行っている隙に、姑はドアを壊してサビットラたちの住む家に入り込み、家具、服から食器まで持って行きました。姑に荷物のありかを尋ねると、ひどい言葉で罵られました。食事を作る道具もすべて失うと、彼女は娘を連れて実家に帰りました。

現在もサビットラは実家で暮らしているので、夫が遺した8~9カッタの土地も耕作できません。誰かに小作してもらおうにも、村に行くことができません。彼女は言います。「家族が敵になったら、どうしたらいいのですか?」

[i] ドホリは、日本でいう歌垣のように掛け合いで唄う歌。
[ii] 1ドゥルは約17平方メートル
[iii] ここに説明はないが、マオイストは、国軍、警察関係者やその家族を標的としていた。