5. おわりに
ダン郡は紛争の被害が大きかった地域のひとつです。2001年11月23日マオイストはダンの郡庁所在地ゴラヒを攻撃し、その3日後、国家非常事態宣言が出ました。その後、夜間外出禁止令は4年半も続きました。紛争中、ダンの事件はいつもニュースで取り上げられました。タルーの発祥の地とも言われるダンで、紛争により甚大な影響を受けた社会を彼ら自身が見てきました。ダリットや他の少数民族の人々も紛争から多くの影響を受けました。

非常事態宣言の意味を理解できない、真面目でおとなしい村人が祭りを祝っている時、また電柱の木を切りに森へ行っていた時、軍隊の銃の標的になりました。家の屋根を作っていた一般の村人を収容所に連れて行き殺害しました。国軍側から殺害されたダンの多くの無実の市民は未だにマオイストと呼ばれています。彼らについてどんな調査も行われていません。マオイストの疑いで殺害され、調査により無実と認められたダンのカウワガリの12人のサルキの遺族に、国家人権委員会は1人5万ルピーの補償金を出すという書状を出しましたが、現在まで支払われていません。
 
一家の稼ぎ手を亡くし、経済的な困難に陥った女性にとって、家族の扶養は大きな負担です。ラダ・ネパリのように、国軍から夫を殺害された苦しみに苛まれ、自殺に追い込まれた人がいる一方で、国軍によって夫を亡くしたメギ・ビカのように、他の人々に生きる勇気を与え、自分たちの社会のために行動を起こし、他の人を励ましている女性もいます。行方不明の夫を捜索する中で、偽りの慰めの言葉をかける国軍兵士から性的暴行を受けた女性もいます。夫を亡くした精神的苦痛が原因でシタ・バスネットを襲った病を、医者は正しく診断できていません。彼女に笑うことを心がけなさいという助言をしていますが。笑うための薬はなく、多くの女性は心の苦痛に耐えながら生きています。警察官の夫をマオイストに殺害されたサビトッラ・ケーシーに、彼女の家族は無関心です。紛争で亡くなった人に占める女性の割合は少なくても、その影響をより強く受けているのは彼女たちなのです。

SEEDは、次の勧告をします。
・ゴルタクリ村カウワガリのデブバハドゥル・サルキを含む、12人の犠牲者の遺族に、国家人権委
 員会が出した書状に基づき、国は直ちに救済金を用意すべきである。
・ダン郡で起きた、この本に記述されているすべての事件の調査をし、救済金と罪を正当に審判す
 る準備を国が迅速に行うべきである。
・政府は紛争犠牲者遺族の子どもたちに教育の機会を提供しなければいけない。
・国は遺族女性に心のケアをしなければいけない。
・国は犠牲者遺族の生活を支援しなければいけない。
・NGOは犠牲者の怨恨感情によって社会が分断されないよう、和解のために一致団結して活動を
 行わなければいけない。
・市民社会は、国が紛争犠牲者遺族を公平に扱い、彼らの権利を保障するよう、国に圧力をかけて
 いかなければいけない。

<参考文献>
新聞
Ganyari. Tharu Newspaper
Kantipur Rastriya Dainik, 18 September 2006
Kantipur Rastriya Dainik, 29 September 2006Naya Yugbodh, 2006. National Daily
書籍
Central Bureau of Statistics. 2003. National Census 2001
Chaudhary. Mahesh. 1994. Telawa Monthly.
District Development Committee of Dang. 2006. District Profile Dang 2005/06
Gopal. Dahit. 2005. Short Introduction of Tharu Culture.
INSEC. 2003. Nepal Human Rights Year Book 2003.
INSEC. 2004. Nepal Human Rights Year Book 2004.
INSEC. 2005. Nepal Human Rights Year Book 2005.
INSEC. 2006. Official Profile.
Tharu Santram Dhar Katuwa. 2005. Chitkal Bawana.

翻訳:吾妻佳代子、協力:定松栄一、監訳・訳注・編集:田中雅子