2.7 都会の生活に心を動かされたムクルとシバラジ
「お兄さんと僕は、カブレ郡
[i]の学校の3年生でした。マオイストのせいで学校で良い教育は受けられませんでした。マオイストはよく僕たちのクラスに来て、無意味な演説をしました。彼らは先生たちに寄付を要求していました」

「ある日、先生のひとりがマオイストを無視したところ、その先生は、僕たちの目の前でひどく殴られました。先生はとても怖がっていました」。ムクル・シャルマは村の学校の様子を説明してくれました。現在、ムクルは家族と一緒にカトマンズに住んでいます。彼らの家は暗くて狭く、十分な広さがありません。

最初、ムクルの父親がカトマンズに来ました。4ヶ月後、母親のショバは家長が不在のまま村で生活するのは大変だと言い、カトマンズに来ました。彼らが村を出たのは「ネパール・バンダ」と呼ばれる国全体のストライキの日でした。

家族は朝4時に起きて出発しました。夜8時半まで歩き、ようやくカトマンズに着きました。ムクルは、カトマンズが初めてちらっと見えたとき、まるで夢の中にでもいるかのようにとても幸せに思いました。しかし、長旅でとても疲れていたので、少し具合も悪かったです。

ムクルが彼らの旅について話す時、とても活き活きとしていましたが、兄のシバラジは心ここにあらず、という感じでした。シバラジは片目が見えず、それほど行動的ではないのです。

ムクルは話し続けました。「村で僕たちが住んでいた家は壊れてしまいました。だから、僕たちは近所の人の小屋に寝泊りしていましたが、何ヶ月か後、そこも壊れてしまいました。それから近所の別の人の小屋に住まわせてもらっていました。でも、すぐあとで、お母さんが僕たちをカトマンズに連れて来てくれました。都市の生活は村の生活よりずっといいです。ね、お兄さん?」ムクルはシバラジにいいました。シクラジは微笑んだだけでした。

息子たちが話している間、母親は苦笑しながら付け加えました。「たぶんこの子の話を信じられないでしょう。でも、本当なんですよ。私たちは本当に村に家がないんです。ムクルの父親は3人兄弟でした。相続する土地について尋ねたとき、義父は75,000ルピーのローンを見せたんです。義父には借金があり、それを3人の息子に分けたんです。ムクルの父親も75,000ルピー払うことになっていました。そこで、私たちは家を出ることに決めました。9,000ルピー貯めるのに、必死で働きました。そのお金で私たちは3ロパニ
[ii]の土地を買い、私の叔父が小さな家を建てるのを手伝いました。しかし、不幸なことに、11年後に地主が土地を奪い返したのです。それから、私たちは他人の小屋に住まわせてもらうためにお願いしなければならなかったのです」

ムクルの父親は、このいかさま地主から土地を返してもらうためにマオイストの助けを借りようとしました。しかし、彼らは助ける代わりに、父親にマオイストに加わるよう強制しました。これが、彼らが村を去った理由です。

カトマンズで、ムクルの両親はパシュパティ開発基金
[iii]の事務所の労働者として働いています。ある日、ムクルの母親はシャンティ・セワ学校の先生に出会いました。彼女は先生に話を聞いてもらいました。その先生は彼女に子どもをシャンティ・セワ・グリハに送るようすすめました。そのおかげで、彼らはシャンティ・セワ学校で勉強する機会を得たのです。

学校では、サタン・バンダリがムクルの親友になりました。ムクルは言います。「サタンが家族を思い出して泣きはじめた時、僕もすごく悲しくなって、涙がこぼれました。でも、僕たちほど幸運な子どもはそういないんだよ、と言って彼をなぐさめました。僕たちはこんなにきれいなところで勉強する機会を与えられたんです。でも、多くの子どもたちは村の普通の学校で勉強する機会さえないんです」

彼なりの方法で、ムクルは心に傷を負った他の友達も慰めます。ムクルはとても賢い子ですが、まだ将来何になりたいかは分かりません。

ムクルはよく彼の村と友達を思い出しますが、それでも村の生活よりカトマンズの生活がずっと気に入っています。ここでは、マオイストを怖がる必要がありませんから。彼は「僕は村には戻りたくない」と言います。

ムクルの母親は言います。「雨宿りできる小屋さえあれば十分です。私たち家族は、この小さい部屋に毎月1,300ルピー払っています。村にいたなら、これは払わなくていいお金です。でも、村ではほとんど仕事がなく、あったとしても日に30ルピーしか稼げませんでした。でも、ここでは私は日に100ルピーは稼げます。村の人たちは、私たちを助けて村に帰れるようにしたいと言っていますが、今の私たちは戻りたくないです。私は、子どもたちにここでなんとかして教育を受けさせます」

ムクルは「僕たちの学校の誕生日はいつなの?」と聞きました。学校で友達の誕生日を祝うことは彼にとってはまったく新しいことでした。村では、誰も誕生日を祝いませんでした。

ムクルの母親は私たちにお茶を飲むようすすめてくれました。その時、ムクルのお兄さんがカップを割ってしまいました。母親は言いました。「コップが割れたって構いません。ただ私は、子ども達の幸運が壊れないように神に祈るだけです」


[i] カトマンズの東に隣接する郡。
[ii] 1ロパニは508.74 平方メートル。
[iii] ヒンドゥ寺院パシュパティナートを管理する財団。