4-5. シタの苦闘
私たちがゴルタクリ村サルワダンダのシタ・バスネットの家を探していた頃、彼女は子ヤギを連れて森に行っていました。家の前の空き地で、彼女の二人の娘が遊んでいました。「お母さんはどこ?」と聞くと、8歳の長女は言いました。「お母さんは森に行っているの。夕方帰ってくるよ」

シタの娘たちはまだ幼いのにもかかわらず、家で留守番しなければならないのです。朝夕の食事の支度のほか、シタは男性がするすべての仕事をせざるを得ない状況にあります。2002年、国軍は彼女の夫ビジヤ・バスネットをマオイストと疑って捕まえ、ウラハリ村のモティプルの森で銃殺したのです。シタの4歳の末娘に聞きました。「君のお父さんはどこにいるの?」彼女はすぐに答えました。「私たちのお父さんは神様の家に行ったの。警察が殺してそこに送ったの」

寡婦となったシタは現在、SEEDによって設立されたパシュパティ女性救済グループの代表として働いています。そこで貯めたお金でシタはヤギを飼い、家族の生活費を補っています。夫名義の8カッタの土地で米を作っています。しかし、そこからの収穫だけでは家族の半年分の米にしかならないので、足りない分をまかなうため、日雇い労働をして稼がなければなりません。病気になった時は借金をして薬を買い、治療をしなければいけません。SEEDが娘たちを学校に入学させるための費用をすべて用意し、その後も勉強を続けるための支援してくれたので、シタは道が開けたと言います。「でも、SEEDがいつまでも援助してくれるわけではないでしょう?」彼女は寄るべのない表情で言います。
 
夫を殺された後、シタの人生は空回りしていました。自分の苦しみを彼女はある日の日記にこう書いています。「私は夫を失っただけではない。精神的な病にもなってしまった。ある時は熱が出る。ある時は頭が痛む。またある時はお腹が痛くなるという幻覚に陥ってしまう。医者に見せても何も起きていないのにだ。一日に一、二回は笑いなさいと言われるだけ。でも、心の中にある苦痛を抱え、私はどうやったら笑うことができるというの?」