3. 結び
マオイストと政府の11年間にわたる紛争の間、多くの子どもたちは悲惨な生活を送りました。カトマンズにあるシャンティ・セワ学校の生徒たちの生い立ちを聞けば、子どもたちがどのような影響を受けたかわかるでしょう。

紛争は何千もの子どもが教育を受ける機会を失わせました。多くの子は、勉強できる場所を探して都会に移り住みました。中には家族と離れ、ひとり寂しく暮らす子どももいました。また、ひとりで田舎を離れた子の中には、勉強の代わりに家事手伝いを強要された子どももいました。両軍の兵士の性的虐待の被害者となった子もいます。

国軍は、マオイストの倍の人を殺しました。一方マオイストは、村人たちに食事を提供するよう強制したり、寄付や彼らのプログラムへの参加を強要しました。彼らのそのような行為が、多くの人々を村から離れざるを得ない状況へと追い込みました。いくつかの村では男性がほとんどいなくなり、妻たちが悲惨な状況で生活しています。都市へ移ることは、生活が苦しくなったように見受けられることもあります。一家族7人もが小さな部屋に窮屈な思いで暮らしていることもあります。

生徒は、彼らの先生や親戚が虐待されるのを見て、おびえました。多くの生徒が、そのようなトラウマを抱えて都市へ移って来ました。現在でも彼らはあまり勉強に集中することができないでいます。このような生徒たちは適切な精神的ケアを受けていません。不幸なことに、何人かの子どもは勉強を再開する代わりに、隣人にも見て見ぬ振りをされ、精神的・肉体的な虐待の危険の下、働かされています。

多くの生徒が、都会で教育を受けるために孤児と偽って都会に送られました。政府がそれを黙認していたことも、記録からわかります。しかし、学校側も生徒の入学を許可する際に、名前や住所など必要な情報を入手するべきです。そして、学校は記録を紙面で残すべきです。

孤児にはカウンセリングが必要であり、様々な理由で移住した子どもたちには教育が必要です。私たちは、小さい子どもが労働力として働かされているのを見て見ぬ振りをするのでなく、本当はその子たちに、彼らの持っている権利について教えてあげるべきなのです。

何人かの子どもが人身売買されたことも明らかになっています。家族は、子どもたちが勉強を続けるために都会に連れて行ってもらうのだと信じ込まされ、子どもたちが売られていたこともあります。両親は子どもをこのような「保護者」に預ける前に、どんな企みがあるのか見極めなければなりません。

停戦後は、両軍とも合意した行動規範に従うことが義務づけられています。子どもはいかなる政治的集会にも参加すべきではありません。私たちは、「子どもをピースゾーンに」という考えを広めるべきです。