2.6 ムグを思い出すラマン
ラマンは父親に会いたくてたまりません。彼が6歳の時、マオイストが父親を殺しました。父親がマオイストに加わるのを拒んだからです。ラマンが覚えているのは、その時の母親の泣き顔だけです。ラマンは平均的な農家に生まれました。父親がすべての責任を背負っていましたから、彼の死によって家族はひどい困窮に陥りました。

「お父さんが死んでから、お母さんは苦労の連続でした。畑と家畜、家事と子どもの世話のすべてをひとりでこなすのはとても大変でした。お金がなかったので、お母さんは僕たちを学校に通わせることができませんでした。お父さんの死は、お母さんを不安にさせました。いつもお母さんは、次は子どもたちがマオイストに取られてしまうんじゃないかと心配していました」。今は9歳になったラマンはその頃を思い出して言いました。

ラマンはマオイストが村人をどんなに酷く扱ったか今でも覚えています。彼はある事件について語ってくれました。「ある日、僕と友達が学校に向う途中、マオイストに会いました。彼らは僕たちに、学校は閉まっていると言ったので、僕たちは彼らについて行かざるを得ませんでした。彼らは僕たちを1日中拘束し、彼らの活動について講義しました。すごく怖かったですが、翌日村に帰ることができました」

マオイストを装った他の人たちも、彼の一家を苦しめました。ラマンの母は、彼を紛争の恐怖のない平和な環境で過ごさせたいと思い、ラマンを村から逃げさせることに決めました。彼は母親のいる村から離れたくなかったのですが、母親は彼に、町に行かなければきちんとした教育を受けられなくなると説きました。そして、カトマンズに行く予定だった村人のひとりにラマンを預け、家族は涙ながらに別れたのです。

カトマンズに着いた時、ラマンを連れてきた男性は彼をシャンティ・セワ学校の3年生に入学させました。当初ラマンはこの学校の環境は変わっていると思いましたが、徐々に慣れました。現在彼はシャンティ・セワ・グリハの一員であることを喜んでいます。そこには友達がいっぱいいて、先生たちは彼をとてもかわいがってくれます。

ラマンはいつも「すべての子どもが両親と一緒に暮らせるように。僕のように離れて暮らすべきじゃない」と祈っています。彼はすべての人々が一緒に平和に暮らして欲しいと思っています。ラマンはサッカーが好きです。そして、彼の村からの訪問者が来る時が、一番幸せです。