5.4 チャンダニの挑戦
自分は生まれつき神に見放されていると思うことがありませんか。チャンダニ・バスネットもそんなひとりでした。彼女はポリオのため、上手に立つこともできませんでした。カトマンズで借家に住んでいる人は、持ち家のある人を幸運だと思うのでしょうが、カトマンズ近郊には今でも貧しい村があります。そのような村の中のひとつダルマスタリ村に、チャンダニ・バスネットは23年前に生まれました。

チャンダニの村で教育を受けた人は少なく、村人の多くは、他人の畑で働いていました。レンガと土でできた家にはひびが入り、飲み水を手に入れるのも大変でした。村は問題だらけでした。チャンダニは学校に通い始めた頃から、そんな村の問題を解決したいと考えていましたが、自分自身、満足のいく暮らしができない中で、村のために何かすることは難しく、彼女の不満は募るばかりでした。

思い通りにならない自分のからだと、家族の貧しさに嫌気がさしました。彼女の父が2人目の妻を娶ったことで、家庭は崩壊しました。ふたりの妻が一緒に暮らせるはずはなく、父は若い妻と暮らし、彼女は自分を生んだ母とともに別のところで暮らすようになりました。

障害をもっていた彼女は、研修の受講生に選ばれました。6ケ月間、いさかいの絶えない家を離れて研修に参加できるのは幸運だと思いました。その一方で、研修がどんなものか、また他の研修生が障害をもつ彼女のことをどう扱うか不安でした。彼女は7,000ルピーの研修費をどうやって払うのか困りましたが、モヒラコハートが支払ってくれたので費用の問題は解決しました。研修が始まってから、その目的が、これまで苦境にあった女性のエンパワメントとリーダーの養成なのだと気づきました。

チャンダニは言います。「リーダー養成のための講義からとても大きな影響を受けました。ずっとこういう研修に興味があり、村のリーダーになりたいと思っていたからです。研修を通じて自信をつけたので、村に帰ったら、私が村を変えることができると思いました」。研修の最大の成果は何かと聞かれ、彼女は答えます。「私は自分が障害者だと思わなくなりました。私は勇気を得て、生きる意欲がわいてきたからです。研修後、他の人たちと同じように生きようと思いました」

研修後、村に戻ったチャンダニは、何から始めて良いか途方に暮れていました。村には貯蓄信用グループがなかったので、ダリットとダリット以外の計20名の女性でグループを結成しました。毎月の貯蓄は、会計のラクシミ・バスネットに任せました。彼女はメンバーの希望に沿って、資金を運用する予定でした。しかし、集めたお金の使い道をめぐって、メンバーの中で意見の食い違いがあり、みなグループを去って行きました。村でこれまで誰もやらなかったグループ結成を障害者のチャンダニがやったことで村人は最初ほめてくれましたが、グループ活動の失敗で彼女は悲しみのどん底に落ちました。村の発展のために役立ちたいという彼女の夢は、道半ばでやぶれました。

「グループ活動がうまくいかなくなった時点で、私はモヒラコハートかナバジョティに連絡すべきでした。そんなに遠くなかったのに連絡できませんでした」と、自分の過ちを後悔しています。グループメンバーに尋ねたところ、彼女たちが快く思わなかった原因は、会計ひとりにお金の管理を任せたことだとわかりました。怒ったメンバーをなだめることができなかったので、それぞれが貯金した額をチャンダニが返しました。失敗の理由はわかっても、グループ活動を再開させることはできませんでした。貯蓄のお金を返却した日、自分の村が将来も「遅れた」ままでいないか、とても不安に思いました。

どうしたら失敗に終わった貯蓄・信用グループを再開させられるか、彼女は考え続けていました。最近村にできた協同組合に元のメンバーがお金を預けていることに気づきました。チャンダニは言います。「私が始めたグループは失敗したけれど、村の女性たちは貯金をするのが大事だということをわかってくれたと思います。それだけでも、村のために役に立ったのではないかと思えて嬉しいです」。他の人が始めたものであれ、協同組合は村のためにできたものだと気づき、彼女もそこで貯金するようになりました。彼女自身の試みは失敗に終わりましたが、村の協同組合がうまくいっていることは喜ばしいと思います。

チャンダニは、ナバジョティ研修センターかモヒラコハートから、誰か一度村に来て指導してくれれば、彼女の村はもっと良くなると思っています。自分で思い描いた変化はもたらせませんでしたが、障害のない人と同様に自分の人生の可能性を広げつつあります。「社会で意識の変化を求めることは容易ではありませんが、厳しい状況でも決してあきらめてはなりません」。これが彼女の得た教訓です。