1. ネパールの女性がおかれた状況
1.1 背景

ネパールでは今も85%以上 の人々が農村に住んでいます。昔ながらの農業に頼っているので、村の経済を安定させるほどの収量がありません。約78%の世帯は何らかの土地をもっていますが、平均すると、耕作に適した土地は、世帯あたりわずか0.8ヘクタールだけです。約32%の人々が貧困ライン 以下の生活です。これらの人々の土地所有は、各世帯0.2ヘクタール以下です。しかし、こうした貧しい世帯の人口増加率はその他の世帯のおよそ2倍です。全体の2割にあたる最も貧しい層の年間所得はひとりあたり4,300ルピー で、全体の2割にあたる最も裕福な層の年間所得は40,486ルピーです。貧富の差は甚大です。

男性と女性の地位を比較してみると、女性たちの状況は非常に悪いです。成人識字率は全体で48%ですが、女性の成人識字率は34%に過ぎません。わずか20%の妊婦だけが十分な研修を受けた助産師の介助で出産することができます。10%の女性たちは栄養失調の状態です。また、ネパール社会には、カーストによる差別も根強く残っており、発展の妨げとなっています。農村には古い慣習や迷信が残っています。これらも女性に対する差別を助長しています。

政府とNGOはこうした問題の解決に取り組んでいます。政府は、地方分権化を進め、地域開発を促進しようとしています。中央政府は、第10次5ケ年計画の主目的を貧困削減としています。ミレニアム開発目標 では2015年までの達成目標を定め、社会包摂とその実現のために必要な政策を実行中です。例えば、各学校に女性教員を配置すること、ダリットや先住民族に奨学金を支給すること、児童労働を根絶することなどです。また、予防接種、ポリオワクチン、ビタミンAがすべてのネパールの子どもたちに行きわたることを目指しています。過去10年にわたる人民戦争と政情不安の結果、なかなかサービスがゆきとどきませんでした。女性たちはその影響をこうむっています。紛争中、生命が危機にさらされ、多くの家族が村を離れて国内避難民となったことで、社会環境が悪化したからです。

1.2 紛争下の女性
10年に及ぶ紛争は、女性たちに負の影響を与えましたが、むしろ女性たちの解放につながった側面もあります。長く続いた独裁政治が終結し、民主化されたことで女性たちにも政治参加の道が開かれました。女性たちも差別を容認し続けることはできませんでした。しかし、紛争が多大な損失をもたらしたことには違いありません。

人権団体INSEC発行の『人権年鑑2007』によれば 、1996年2月13日から2006年12月31日までに13,284名の命が奪われています 。うち女性の犠牲者は、国軍側に殺された者が820名、マオイストによって殺された者が193名の計1013名です。紛争による直接の被害者は男性のほうが多いですが、夫を失った女性には家計を支える負担がのしかかるようになりました。女性が誘拐された場合、暴力を受けたり、強姦されることもあります。2005年だけでも、379名の農民が殺され、うち59名は女性たちでした 。また、誘拐された927名の農民のうち113名が女性でした。World Vision によれば紛争期間中に国軍から性的搾取を受けた女性は、ジュムラ郡だけで600名にのぼります。

女性たちは、国軍とマオイスト双方の犠牲になっています。貧しさゆえに、息子を治安部隊で働かせざるを得ず、派遣先の遠く離れた村で息子を亡くし、悲しみにくれる母親もいます。また、苦境にある女性、例えば病気を患っている女性や妊産婦も、安全な場所を求めて村を離れなければなりませんでした。多くの女性たちが夫、息子、両親、子どもを失っています。国内避難民となって移住した女性たちの多くが、家事使用人としてカトマンズで働いています。

1.3 家庭内暴力による苦悩
家父長制の根深いネパールでは、家庭内のことも男性が決定権を持っていました。相続権をめぐっても法的不平等が残っていたので、女性が財産を相続することも困難で、自分の名義で家や土地を所有する女性はわずかです。就業機会も限られています。女性の管理職や政策決定者が少ないため十分な監督がなされておらず、一般の女性は非道な処遇にも黙って耐え忍ぶ他、選択の余地がありませんでした。数えきれないほど多くの女性たちが、夫から殴る、蹴るの暴行を受けても、家族から助けを得られず、他に行き場もありません。

持参金をめぐる問題や、重婚をきっかけに、非情な夫やその家族が暴力をふるい、多くの女性が犠牲になっています。中には魔女と疑われて殴打される女性もいます。INSECによると、女性の人権侵害は2005年だけで395件おきており、その中に、レイプ、人身売買、魔女狩り、家庭内暴力、性的虐待、重婚などが含まれています 。このような社会における差別があるために、女性たちの声はなかなか届きません。法的に女性の権利が認められても、農村では特に女性の権利は剥奪されています。

1.4 人身売買
人身売買の歴史はラナ専制時代 にさかのぼります。ラナは女性を快楽の対象としていました。王宮内に自分が気に入った少女を連れてきて、情婦として住まわせました。女性たちがまるで動物のように売買されるのはこの伝統に起因しています。人身売買の被害者は、貧しく、教育を受けていない、ヒンドゥ教徒以外の女性たちに多いです。

人身売買が非合法化されて20年以上経ちましたが、インドや中東諸国で売春に従事するネパール人女性30万人のうちの多くが人身売買の被害者です。現在も毎年7,000人以上が、他国へ売られています。紛争によっても人身売買が増えました。政府とNGOは、人身売買被害者の女性のエンパワメントに力を入れていますが、人身売買の防止は困難です。マオイストは、人民解放軍に女性たちを動員するために、西部丘陵地帯で少女人身売買を規制しているという話もあります 。

1.5 ダリット、貧困に苦しむ女性
ネパールで不可触制が廃止されて長い年月が経ちましたが、21世紀に入っても、ダリットは不可触民として扱われています。政府やNGOで働くエリート層はダリットの解放について説教しても、個人の日常生活においてそれを実践することはありません。ダリットの女性が職業訓練を受けても、仕事の機会を見つけるのは大変です。もし、ダリットが食堂を開いても、お茶一杯飲む者がいないでしょう 。

アクションエイド・ネパールというNGOが発行した『ネパールに現存する不可触民とその状況改善のための挑戦』という本 によれば、ダリットに生まれたというだけで205種類の差別を受け続けているといいます。ダリットの生活環境はとても厳しいです。紛争によってであれ、生まれつきであれ、障害を負った女性たちの状況もまた困難です。

1.6 紛争に起因するその他の問題
SAMANATAというNGOの代表アルジュ・デゥバが行った調査によると、紛争が女性たちに与えた最も深刻な影響とは、就業機会がないこと、収入がないこと、貯蓄を取り崩さなければならない、土地や財産を失うことで、既存の収入手段がなくなる等です。また、最も深刻な心理的影響は、子どもたちに表れています。親を亡くした子どもは、恐怖感に襲われたり、勉強する気がなくなるなど、精神のバランスを失う傾向があり、彼らの将来に暗い影を落とします。夫が殺されたり、誘拐されたり、村を離れて他の場所に逃げた場合、妻が生計を立てる責任を負わなくてはなりません。彼女たちは、家族の安全の確保や、年置いた親の世話、地域活動への参加など、新たな責任を果たすのに苦心しています。