5. 研修を受けた女性たちのその後
訪問先では、元受講生と最低1日一緒に過ごしました。インタビューのほか、彼女たちが関わっている団体のメンバーや近所の人から聞いた話をもとに、女性たちの人生が研修後どう変わったか紹介します。

5.1 平和をもたらしたシャンティ
名前通りの人生になるのなら、たくさんの人が幸せになっていたことでしょう。名前が嫌いなら替えることはできますが、名前だけ変えても運命を変えることはできません。とても怖がりのビル・バハドゥル(勇敢な戦士)という名前の人が、私たちの身近にいますから。

シャンティ・ライは名前の通りシャンティ(平和)をもたらした数少ない人でしょう。彼女の名前は、娘が平和に暮らせるよう願った両親がつけたのでしょう。しかし、彼女の運命が最初からそうだったわけではありません。

ジャパ郡のケルカバザールから1キロの距離にある、トプガチ村にシャンティ・ライの実家があります。父バムバハドゥルと母マンカニの一人娘として今から36年前に生まれました。父が二人目の妻を娶って以来、ふたりの母の間にけんかが絶えず、平穏な家庭ではなくなりました。

シャンティは25歳でダンバハドゥル・ライと結婚しました。ダンバハドゥル(豊かで勇敢な男)が名前の通りに稼いできてくれればよいのですが、常にお金に困っていました。夫婦げんかが絶えず、彼女は離婚を決意するまでになりました。仕事もせず酒場に入り浸り、帰宅すれば怒って妻の髪をひっぱり、手持ちの金を賭け事で使い果たしてしまうような夫と暮らしたい女性はいないでしょう。こんな悪夢が彼女の現実となってしまったのです。その頃のことを思い出してシャンティは言います。「毎日夫とけんかして、精神的にも限界でした。私たちがけんかするのを見て、娘と息子が泣き叫んでいました。夫とは口論が絶えず、経済的にも苦しく、家を維持するのは大変でした」

ある日、シャンティは、郡開発委員会の議員をしていた義兄のアルジュン・ライに苦労を打ち明けました。彼はモヒラコハートを通じて、シャンティをカトマンズでの研修に参加させようと考えました。最初、6ケ月も家を空けることを躊躇しましたが、最後には研修に参加してより良い人生を生きたいという思いが勝り、カトマンズに行くことを決めました。2001年、9歳の娘と6歳の息子を夫に預け、研修のためカトマンズに来ました。

最初は他人の前で話すこともできなかった内気な彼女でしたが、だんだん慣れて、研修指導員たちとも積極的に意見を交換するようになりました。「自分でもよくわかりませんが、研修中、私は内面から強くなっていった気がします」とシャンティは言います。

研修後、村に帰ったシャンティは、家に着くなり恐怖感に襲われました。「村に戻ってみると、家に誰もいませんでした。夫は娘と息子を私の実家に預けていたのです。家の中の荒れ果てた様子を見て子どもたちが心配になりました。私はその日思い切り泣きました。夫に対して腹が立ち、心の中の悪魔が夫を殺したいとささやくほどでした」

研修で学んだ甲斐があって、シャンティは自分の感情を何とか抑えることができました。夫にだけ非を求めるのではなく、自分の誤りにも気づきました。対立の解決法を学んだ成果を生かして、夫との関係を変えていきました。夫も妻の前向きな姿勢を受け入れ、徐々に悪癖を直していきました。今では、夫は毎日仕事に精を出しています。家事もふたりで分担し、けんかすることもなくなりました。

「研修の最大の成果は、夫が行いを改め、家庭環境を変えられたことです。暮らし向きも良くなりました。研修は私の人生に大きな変化をもたらしましたが、何といっても良かったのは夫と平穏に過ごせるようになったことです。研修前は自分の欠点について気づきませんでしたが、自分を内省することを学び、前進しています。他の人と争わずに暮らす術を身につけることができたのです」

次にシャンティが行ったのは、カンチャンジュンガ貯蓄グループを結成することでした。2001年12月30日、20名の既婚女性でグループをつくりました。月20ルピーを貯金するところから始めて、5年間で残高は5万ルピーに達しました。グループの代表、ニルパ・ライは言います。「シャンティは、グループをここまで成長させるのに重要な役割を果たしました」。彼女はグループ内の女性たちの調整とエンパワメントを担っていました。

シャンティの努力の結果、村では他にも貯蓄グループと洋裁グループがあります。カンチャンジュンガ貯蓄グループの会計をしてきたシャンティは、時間のある時には洋裁グループでも会計を助けています。国連開発計画の貧困撲滅プログラムの下、村では他にも信用・貯蓄グループが結成され、
シャンティはそれらのグループのリーダーでもあります。

トプガチ村開発委員会の事務官ブッディマン・ポウデルは言います。「シャンティ・ライのような女性があと2、3人村にいたら、この村も相当変わると思います」。研修はどうでしたか、という質問にシャンティは答えます。「研修を通じて、自分自身を知らなければいけないという思いに至りました。他の人と協力して生きていくことを学びました」。シャンティは現在、家の仕事よりも地域での仕事で忙しくしています。彼女の奮闘の結果、トプガチ村のどこへ行っても名前が知られています。組合や団体の職員、役人、牧夫、一般の人、誰に尋ねても、みな彼女を知っています。

シャンティには二人の娘と一人の息子がいます。高校卒のシャンティは、子どもたちにはそれよりも高い教育を与えたいと考えています。まだ長女は8年生、息子は4年生で、次女は2歳になったばかりです。

国の不安定な政情は、彼女の仕事にも影響を与えました。貯蓄グループの月例集会にマオイストがやってきて、彼らの演説を聞かされる羽目になりました。本来の重要な議題を話し合うことができませんでした。2006年4月の第二次民主化運動の最中に多くの工場が操業を停止したために、夫は職を失い、再び一家は財政危機に陥りました。彼女たちはたびたびお腹をすかせて過ごさなければなりませんでした。それでも貯蓄グループの女性たちは民主化運動に参加しました。「民主主義が訪れたら、私たちは平穏に自分の仕事をすることができるでしょう」

シャンティに10年後の夢について尋ねました。「実現したいことはたくさんあります。子どもたちに良い教育を与えたいです。そのためにはもっとお金が必要です。それ以外のもっと大きな夢は社会の役に立ちたいということです。村のほかの男性たちが、私の夫のように賭け事や酒を止め、家で妻を手伝うように変わる“革命”を始めたいと思います」。彼女の夢はいつ叶うのでしょうか。いつか時が教えてくれるでしょうが、すでにカンチャンジュンガ貯蓄グループの女性たちは、彼女の夢の実現のために歩み出しています。

酒、博打は家族だけでなく、社会全体の規範を乱します。シャンティは夫に変化を促し、自分の人生も変えました。今、彼女の家庭は平和に満ちています。夫は電気工として働き、家族のために稼いでいます。彼女は名前通りの人生を生きています。ことわざにあるではないですか。「泣くときはひとりで泣きなさい。でも、あなたが笑えば、世界も一緒にあなたと笑う」と。泣いてばかりいた人生から笑顔にあふれた人生への転換に奮闘したシャンティの話から、私たちも学ぶところがあるのではないでしょうか。