4-3. メギの勇気
フルバリ村の村人たちはティージ(ネパールの祭のひとつ)を祝うことに夢中になっていました。ティージの前日で、水牛を切って肉を分配していたのです。その時、村は突然喧騒に包まれました。軍が、村にマオイストが入ったという情報を得て、攻撃体勢に入ったのです。村人たちは肉の分配をやめて逃げました。しかし何人かは国軍の発砲の犠牲となりました。犠牲となったのは村人6人でした。肉の配分のために作られたリストを、国軍はマオイストのリストと決めつけたのです。ラジオのニュースは軍がマオイストを殺害したと伝えましたが、死亡者はすべて罪のないダリット(不可触カースト)の人々だったのです。

これは3年前の事件です。メギ・ビカの夫もその事件で亡くなりました。彼女は寡婦となりました。娘3人と息子1人は父親の愛情を奪われました。メギは何ヶ月かの間、夫を亡くした悲しみに沈んでいました。家のそばの鍛冶小屋が彼女に夫を思い出させました。しかし夫を思い出し、泣いて過ごしても夫が帰ってくることはありませんでした。メギは決心しました。「もう私は泣かない。泣いて暮らして私の悲しみは消えない」

メギは言います。「死んでしまった者は戻ってきません。私が泣けば子どもたちも悲しみます。だから私はいつも笑っているよう努力します。夜、寝る時も子どもたちに話をしながら、笑わせて寝かせます」。メギの息子は父親の鍛冶屋の仕事を続けることができません。父親は息子に鍛冶屋の仕事を教えていなかったからです。SEEDは、学校に行けず家にいたメギの息子に、バクタプル郡サノティミにある職業訓練所で植字工の訓練を受けられるように協力しました。しかし訓練は受けたものの、まだ職を得ることはできていません。

家を含めた10カッタ[i]の土地だけでは、メギの家族は食べていけません。彼女の家族は日雇い労働をしています。高校に入った二人の娘も土曜の休日に働いています。彼女たちの文具、鞄、制服などはSEEDが支給しました。郡教育事務所からも奨学金を受けています。そのため、娘たちの教育費の心配はありません。

夫が殺された後、いくつかの援助団体がメギの家族について調査し、食事会に招待しました。招待の連絡を受けた時、メギは新しい生活が始まったように思えました。彼女は言います。「ようやく、何人かの人たちが私たちの悲しみを理解する努力をしてくれたのです」
 
ダリットや寡婦の集会があると、メギ・ビカはいつでも参加します。彼女はダンの寡婦グループのメンバーでもあります。他の女性は演説をしながら、悲しみや苦しみに涙を流します。しかし、メギは演説でも笑いながら話します。男性の役割を私たち女性がやっていかなければと自分と同じ境遇の女性たちに言い聞かせます。彼女のいるところにはいつも笑いがあるかのようです。

夫を殺された他の女性たちにも彼女は笑いを届けます。そんな彼女を中傷する人もいます。どうせどこからか金をもらっているんだろう、特別な援助を受けているんだろう、あちこち遊びまわっている・・・。しかし、メギはこのような話を片方の耳からもう一方の耳に聞き流します。彼女は笑いながら言います。「私たち女性は家の中にだけいて世間から取り残されています。私まで家の中にじっとしていたら、他の女性たちは私が話しているようなことをいつになったら聞けると言うの?」

女性の権利を守るため「同一職種、同一賃金」の運動にもメギは参加しています。マオイストが行事を妨害し、女性の活動代表者に仕事を辞めさせようとしました。メギはそれに反論しました。「これは私たち女性にとって大切な活動よ。マオイストが女性の活動をやめさせるなら、女性もマオイストの活動を応援しないわ。それでもいいの」

メギ・ビカのもうひとつの特徴と言えば、彼女の議論のスタイルです。村にくるマオイストたちにも心を開き、自分の話をすることができます。国軍とも目を合わせながら話をすることができます。SEEDによる6ケ月の識字教室で名前が書けるようになったメギは言います。「出席帳にサインすることができて私は自分で驚いています」。村のダリット社会では、メギのように普通に読み書きができ、社会の再建について話しながら村を歩く女性はごくわずかです。メギ・ビカの前向きに考えながら生きる人生を、みんなが学ばなければいけません。
 
SEEDは、メギ・ビカの夫を含む殺害された無実の村人6名の家族から、国家人権委員会宛に、補償金請求の手紙を出しましたが、皮肉にもこの事件の調査はまだ行われていません。

[i] 1カッタは約337平方メートル