5.3 前向きになったヒラ
ドラカ郡ジュレ村のヒラ・タマンは美しい少女でした。村の男の子たちが彼女に憧れ、近所の青年、ラムクリシュナ・ギシンもそのひとりでした。ラムクリシュナはヒラが好きになり、結婚をもちかけましたが、まだ8年生だったヒラは断りました。彼女の父ビムバハドゥルと母ディルマヤは苦労しながら彼女を学校に行かせていました。ヒラが断り続けても、ラムクリシュナは求婚し、ヒラは無理やり結婚させられました。彼らラマ
[i]の社会には当人の意思に反しても結婚するという習慣があります。そのせいで、ラマの女性たちの多くが苦悩を強いられています。

自分の求婚が何度も断られ、無理やり結婚する他なかったことで、ラムクリシュナ自身も傷ついていたのでしょうか、結婚直後から酔って家に帰ったり、ヒラに暴力を振るうようになりました。ヒラは夫から殴られることが日常となりましたが、逃れることはできませんでした。一旦結婚した女性が実家に帰ることは許されないのです。彼女は望んでいなかったのに、社会が結婚を認めてしまったからです。

義母と義父も夫の味方でした。ある時、義母は2日間もヒラに食事を与えませんでした。お腹がすいた彼女が畑にトウモロコシを取りに行ったところ、怒った義母は後ろから薪で殴りかかり、ヒラは意識不明になって地面に倒れました。意識が戻った後、ヒラは1歳半の娘に乳をあげようとしました。しかし、自分もひもじいために、娘にやる乳も出ませんでした。その夕、夫は酔って帰ったとき、娘は泣きじゃくっていました。義母はヒラが一日中、乳をあげていないのだと言うと、夫は彼女を外に連れ出して殴りました。ヒラが意識不明になった時、夫と義母は彼女が死んだと思いこみ、彼女を畑に捨てました。

真夜中に意識を取り戻したヒラは、これからずっと毎日殴られ続けるよりも、自分の分身である娘と一緒に逃げ出すほうがいいと考えました。みなが寝静まった頃、義母と寝ていた娘を連れ出し、実家に向かいました。途中、ジャングルの中を通り抜けなければなりませんでしたが、怖くありませんでした。しかし、彼女が逃げたことを知った夫がすぐ追ってきて、子どもを奪い返しました。たったひとりの子どもを失って、実家にたどり着きました。以来、精神のバランスを崩した彼女の奇行が目立つようになりました。時々、狂人のように泣いたり、叫んだり、茫然自失のままひとりでいることもありました。ヒラの両親は同情する以外にできることはありませんでした。

そんな中、ヒラは妹からナバジョティ研修センターのことを聞きました。ナバジョティ研修センターに連絡をとりましたが、受講料は自分では払えませんでした。身につけている一組の古い服以外、カトマンズに行くために必要なものは他に何もありませんでした。モヒラコハートが研修費用を負担してくれると聞き、彼女の希望が蘇ってきました。

研修中、ヒラは自分と同じような境遇にある16人の受講生たちとともに、苦しみから解放されるよう努めました。しかし、幼い子どもと離れ離れになった苦しさが癒えることはありませんでした。彼女は思い出します。「ある日、先生が自分たちの人生で起きた話をしなさいと言いました。私は泣きながら自分のことを話しました。他の人は、目の前で軍が夫を射殺した話をしました。他の女性が私と同じように夫から追い出された女性もいました。そういう話を聞いて、辛いのは私ひとりではないと思い、癒されました。そういう他の人の話を聞く機会がなければ、私は気が狂っていたでしょう。そして私もみなと話すことができなかったでしょう」

その日から、ヒラは自律する努力を始めました。他の研修生と悩みを話し合ううちに、あっと言う間に6ケ月が過ぎました。研修後、みなは自分の家に帰りましたが、彼女には帰る場所がありませんでした。夫の家には戻りたくありませんし、実家に迷惑をかけたくありません。考えた末、彼女はカトマンズで暮らすことにしました。

ある日、コテシュワールからラトナパークに行く途中で、ラディカという女性と知り合いました。彼女は家事をしてくれる人を探しているとのことで、仕事を探していたヒラは、クプンドールにあるラディカの家で住み込みで働く決心をしました。しかし、彼女のクプンドールでの生活もあまり良くはありませんでした。2006年の民主化運動の頃、彼女の住む家は水不足になり、ヒラは近所の公共水栓まで洗濯に行かなければなりませんでした。ある時、催涙ガス
[ii]が撒きちらされたのに巻き込まれてけがをしました。その事件をきっかけに、ヒラはその家の仕事を辞めました。

現在、彼女は他のところで家事使用人の仕事をしていますが、今の職場もあまり居心地が良いとは言えません。家の主人は彼女が外の人と話すのを嫌いますし、電話を使うことも許してくれません。ヒラは言います。「研修でたくさんのことを習っても、私は何も知らないかのように振舞わなければなりません」

ドラカ郡ジュレ村で育った子どもの頃も、彼女の生活は貧しかったです。両親には家以外に財産がないので、実家に戻るつもりはありません。それより、彼女はいつか自分で生計を立てられるようになって自分の価値を夫に実証してみせたいと思っています。

他の女性たちに何をしてあげられると思いますかと尋ねられ、彼女は答えます。「研修で習ったことはひとつも忘れていません。もし、誰か手伝ってくれる人がいれば私も何か始めたいと思います。今は、協力しあえる仲間を探しているところです」

紛争のせいで、村に戻って仕事をするのは難しいとヒラは言います。それでも、彼女は勇気を失っていません。彼女は自分がこんなに前向きに生きる人間になるとは思っていませんでした。今、彼女は、当人の意思に反して無理やり結婚させるラマ社会の習慣に抗議の声を上げたいと考えています。「この研修は、私に新しい人生を与えてくれました。私の人生を前向きなものにしてくれた人たちに恩返しをしたいと思っています」


[i] 外部者がタマンのことを総称して「ラマ」と呼ぶことがある。
[ii] 民主化運動中、デモ隊に対して武装警察が催涙ガスを撒いた。