2.2 「先生になりたい」カゲンドラ 
カゲンドラ・バハドゥール・シャヒはシャンティ・セワ学校の5年生です。カゲンドラはフムラ郡
[i]のダルマ村にいた頃、紛争からどんな影響を受けたかを日記に綴りました。

私たちの国の政情が、多くのネパール人を危機的状況に追いやりました。
人々はどうやって生きていくか悩み、苦しんでいます。
みんな幸せを望んでいます。私も幸せを望んでいます。
みんなが自分の人生を幸せに送れたらいいと思います。

マオイストが貧しい村人を苦しませなければいいのにと思います。
私が村にいた時、マオイストは人々の財産を取り上げました。
村人が土地を差し出すことを拒否すると、家を焼いてしまいました。
彼らは生徒の本やノートを捨てました。
マオイストは米の売買を止めてしまいました。
勉強するためにカトマンズや他の町に行こうとする者を許さず、
自分たちの要員として連れて行ってしまいました。

カゲンドラは村で勉強を続けたかったのですが、マオイストが学校にもやってきたため、彼が学校を終えるまでの間、母親は彼を親戚のいる町に送りました。母親と姉妹、兄弟と離れるのはとても辛いことでしたが、良い教育を受けられるのだという希望をもって彼は出発しました。フムラからスルケット
[ii]まで6日間歩いて、そこからバスでネパールガンジ[iii]に行きました。そこが、カゲンドラの母親が息子が安全に暮らせると信じた場所でした。しかし、カゲンドラを村から連れて行ってくれた男は、彼を学校に入学させず、家事使用人にしたのです。

カゲンドラは皿洗い、洗濯、掃除といったすべての家事をしなければなりませんでした。家族に会いたくて、母親の腕の中にいる心地よさや友達を思い出しては泣きました。フムラよりもずっと暑いネパールガンジに慣れるのも大変でした。村の近くを流れるカルナリ川を懐かしく思いました。彼の家から誰かが来てくれるよう、神様にお祈りしました。そしてある日、彼の兄のラジェンドラが彼に会いに来てくれたのです。彼は兄にすべてを話し、すぐに二人はカトマンズに向かって旅立ちました。

カトマンズにいたラジェンドラの友人の一人がシャンティ・セワ・グリハについて知っていました。その人の協力でカゲンドラはシャンティ・セワ学校で勉強する機会を得ました。彼はここに来て良かったと思っています。それでも家族や村を思い出すと胸が痛むと言います。「僕の村はとても貧しかったです。塩を買うこともできず、刺草(いらくさ)
[iv]を塩なしで食べることもありました。紛争の間、村人はマオイストとの色々な問題に直面しました。しかし村人たちは自分たちの宗教儀式や文化を決して忘れませんでした。神を信じ神に平和を祈りました。私の村の人たちは本当に純粋な人々なんです」

カゲンドラは、小さい頃に父親を亡くしました。どうして亡くなったのか、彼は知りません。彼の兄ラジェンドラは、マオイストを恐れて4~5年前に村を離れて郡庁所在地に逃げました。

カゲンドラが今通っている学校では、教科書を暗唱するだけでなく、自分で見たり、さわったりしながら学びます。彼はその実践的な教え方に驚き、とても喜んでいます。

カゲンドラは詩を書くことが大好きです。フムラの人たちについてこんな詩を書きました。
悲しみは多いけど、僕はそれに耐え続ける。
僕は自分の文化と伝統を守りたい。
どんなに頬を打たれても、僕はそれに耐え続ける。
どんなに辛くても、僕はそれを忘れることができる。

フムラの人たちの悲しみ、痛み、辛さと、それでも自分の故郷を守り続けたい気持ちが、彼の詩に表現されています。
このように今でも、フムラの人たちは苦しみながらも、自分たちの文化を大事にしています。「村には、僕と同じくらいの年齢の子どもがたくさんいます。でも多くの子どもは紛争の影響で学校に行くことができません。僕は将来、先生になって、村の子どもたちに教えたい」とカゲンドラは言います 。

[i] ネパールの北西の端に位置し、チベットと国境を接するカルナリ地方の郡。
[ii] ネパール中西部の丘陵地とタライ平野の間に位置する郡。
[iii] インド国境に近い中西部最大の町。
[iv] 山野の陰地に自生する多年草。ネパール語でSisnu。茎の繊維を織物の原料とし、若芽を食用にする。