5.5 家から社会を変えるデビマヤ
タナフン郡シャムガ村デウラリのデビマヤ・タパ・マガルは、母が営む飲み屋でたむろする酔っ払いの男たちを好きになれませんでした。母が酒で儲けたお金を受け取る気になれず、自分で飼ったニワトリを売って学費に充てました。頑張って勉強を続け、SLC(中等学校卒業資格)試験に合格したときは大喜びでしたが、進学したくても村に高校がありませんでした。高校のある郡庁所在地ダマウリで部屋を借りなければ、通学できません。彼女の村からダマウリまでは、まず1時間歩いたあと、25キロの道のりをバスに乗らなければならないのです。家族が、彼女の進学を認めなかったとき、目の前が真っ暗になりました。学費や部屋代を払えないのだから、家で手伝いをして過ごしなさいと両親に言われ、彼女は進学したいという希望を押し殺して過ごさなければなりませんでした。

デビマヤの家族には、祖父、両親、兄夫婦、妹が4人いました。運転手の兄ひとりの稼ぎで、10人の家族を養うのは無理なので、母が5年前から酒を造って売り、収入の足しにするようになりました。村では他の家庭でも同じ商売をしています。デビマヤは家でお酒を作って売ることがはとても嫌いでした。しかし、他に収入源がない中、お酒を作らないでと言うこともできませんでした。

時々、酔っ払いが家の中まで入って来て騒ぎました。マオイストのあるグループは、お酒を飲みにやって来て、家族をマオイストに加入させようと無理強いしましたし、マオイストの別のグループは、お酒を売ってはいけないと脅迫しました。

デビマヤは村でのこんな生活から抜け出したいと思っていました。両親も、このまま村にいては、折角教育を受けた娘もそれにふさわしい仕事を得られないし、いつかマオイストに連れて行かれてしまうのではないかと心配でした。当時、国軍は、村に隠れているマオイストの捜索をしていました。村の多くの男性がマオイストをかくまったという容疑で捕まえられました。彼女の叔父も3か月間、軍に勾留されました。

SLCに合格していたことと、マオイスト問題の犠牲者の家族だという理由で郡開発委員会に選ばれ、デビマヤはナバジョティ研修センターでの6ケ月研修に参加できることになりました。半年も娘がいなくなるのは寂しかったですが、混沌とした村からしばらく娘が離れていられることに両親は安心しました。近所の村からサヌマヤ・グルンという女性も同じ研修に行くことになったので、心配はいりませんでした。彼女は自分の希望が叶ったと、大喜びでした。

6ケ月の研修を終えて村に帰り、デビマヤは社会を改善するなら自分の家から始めなければならないと思いました。その第一歩として酒場を閉めました。それから、さまざまな収入向上事業や郡開発委員会の活動に参加するようになりました。時間を見つけては、女性たちのエンパワメントについて自分が研修で習ったことや、女の子に教育を受けさせることがいかに重要かを若者に話しました。村人が集めたお金で、デウラリ小学校でも6ケ月教えました。

郡開発委員会で地域開発基金を担当しているバラト・バンダリは言います。「デビマヤが受講したような研修は社会変化のために必要不可欠です。研修前の彼女は恥かしがりやでしたが、今は一人で郡事務所にやってきて我々と村の開発について議論するまでになりました」

近所に住むサヌマヤ・グルンと一緒に研修を受けたことで、戻ってからもデビマヤは心強かったですが、サヌマヤが結婚して遠くに引っ越してひとりになってしまったので、村を回る頻度も減りました。それでも彼女の社会活動への意欲は衰えていません。例えば、2004年2月13日、郡開発委員会の貧困撲滅基金を使って設立したデウラリ・バラユダンダ貯蓄組合の運営に関わっています。デウラリとバラユダンダに住むメンバー43人が月25ルピーを貯金した結果、現在までに20,4982ルピー集まりました。グループの代表テジラム・タパは、デビマヤが毎回グループの会議に出席し、研修で習ったことを他の女性にもわかりやすく教えていることに感謝しています。

世帯唯一の収入源だった酒を売る仕事をやめたため、家計はしだいに厳しくなりました。彼女の家族は自分の土地がないので、他人の土地で小作人として働いています。両親は3ケ月後、お酒を売る仕事を再開するほかありませんでした。デビマヤは鶏と山羊を飼い始めました。彼女は酒場をやらなくても、家族が暮らせるような収入を得たいと考えます。母は言います。「私の娘の人生はすっかり変わりました。彼女は村の多くの問題を前に自信を失ってしまったのではありません。研修で彼女はとても勇気づけられたはずです」。デビマヤはモヒラコハートのメンバーが現地訪問をしてからいっそう活動に熱中するようになりました。「みんな前進するには励ましが必要なんです」