2. Jagaran Forum Nepal (JAFON)
2-1.設立まで

現在ストリート・チルドレンのために活動する団体は数多くあります。JAFONもその一つとして2000年に設立されました。JAFONは運営方法などさまざまな点で他団体と違います。代表である私自身がストリート・チルドレンだったことにその理由があります。私が路上生活を送っていた頃の物語はとても長く、苦闘の末、ここまでたどりついたのです。これまでも多くの人々に影響を与えてきたと自負しています。そんな努力があってこそ、JAFONが多くのストリート・チルドレンとつながりをもてたのだと思います。

私の家はシラハ郡[i]にありました。両親のけんかがもとで7歳の時、家を出なければなりませんでした。その後両親は別居しました。母は私を学校に行かせるため、ビルガンジ[ii]に引っ越しました。母は学校で教員の職を得ましたが、私は町で友だちと過ごすことが増え、勉強するより彼らと一緒に映画をみたり遊びまわるようになりました。同年配の少年たちと一緒にいる時間が長くなり、家に帰らなくなりました。

ビルガンジに来て4年後のある日、カトマンズではお金を稼げると考え、私たち12人は連れ立ってカトマンズにやって来ました。知り合いの資源回収場があるダルコ[iii]に住むことになりました。私たちが拾い集めたプラスチックや金属は、1キロ12~14ルピーで売れました。6ヶ月間資源ごみ回収の仕事をしたあと、バグ・バザール[iv]に移りました。それが12年間の路上生活の始まりでした。 

1992年頃のある日、私は友達と一緒にCWINが運営する施設に行きました。CWINはアロハン(Aarohan)[v]という演劇グループと一緒に活動していました。ストリート・チルドレン自身も出演することになり、私も出演者のひとりに選ばれました。アロハンから1ヶ月にわたる演技指導を受けて、私たちは路上生活の劇を準備しました。スニル・ポカレルさんが演出し、私たちストリート・チルドレンが出演した『都会に生きる市民権のない者たち』という劇はさまざまな場所で公演されました。

それから約1年後、私はCWINを去り、友だちと一緒に再び路上生活を始めました。その後、アロハンがストリート・チルドレンの宿泊施設を造ったので、そこに住むことになりました。アロハンを通じてストリート・チルドレン関係の仕事をもらったので、10ケ月後、ホステルでの生活をやめました。同じような仕事でポカラにも行きました。

ストリート・チルドレンに関わる多くの団体と仕事をする機会を得た私は、ある日、自分でもこういう団体を運営できるのではないかと考えました。私もストリート・チルドレンの友人たちも、既存の団体の活動に納得していませんでした。そこで1998年、友人と一緒にJAFONの前身であるJagaran Groupを設立しました。それから2年後の2000年にJAFONを設立しました。

JAFONはさまざまな活動を通じて、路上生活をする子どもたちがいなくなるように社会に働きかけててきました。現在はラリトプルの事務所を拠点に、カトマンズとラリトプルのストリート・チルドレンの支援をしています。

事務所がまだアラムナガル[vi]にあった頃の奮闘の日々は忘れがたいものです。資源ごみ回収を通じて事業収入を得ることを目標にしていました。路上に住む子どもや青年にできる仕事をつくり、そこから得られた収益で他のストリート・チルドレンのための活動を行おうと考えたのです。青年二人が近隣の家庭を戸別訪問しごみの有料回収を始めました。7軒の訪問からスタートしましたが、400軒へと利用者が増えました。この事業は現在も続いており、2008年1月現在9名の元ストリート・チルドレンを含む14人が働いています。

[i] タライ平野東部の郡。
[ii] インド国境沿いの都市。
[iii] カトマンズ内ビシュヌマティ川沿いの地区。資源ごみ回収業者の集積場が多い。
[iv] カトマンズ市内中央の商業地区。
[v] Aarohanは1982年に設立された演劇グループ。カトマンズにある自前の劇場での公演以外に、ネパール各地のグループとの創作活動も行っている。ネパールを代表する演出家・俳優のスニール・ポカレルが主宰。http://www.aarohantheatre.org/
[vi] カトマンズ市内の中央官庁があるシンハ・ダルバールの裏にある。